月経困難症と診断された
月経困難症と診断されました
私が月経困難症と診断されたとき、私の周りにこの言葉を知っている人がどれだけいただろうか?おそらく1人もいなかったはず。
同性でもほとんどの人がこの言葉を知らないのではないだろうか。
そう思うと同時に、この症状を理解してくれる人が、一体どれくらいいるのだろうか。
同性でも、月経痛がない、もしくは簡単に我慢できる程度の人は、私の激痛や精神的苦痛を理解などしてくれない。
というか、理解などできないのだ。
それは、自分がとてもよくわかっていることなのだ。
自分が月経困難症でなかった時(それは全く痛みを伴わないものだった)、友人が、頭痛がするとかお腹が痛いと言っても「そんなの大したことではないだろう(だって現に立っていられるじゃない)」と思っていたから。
それと同じように私のこの激痛も「生理は病気じゃないのだから」という昔ながらの言い回しで流され、完全な理解を得られることなく過ごされてきたものだと自覚しています。
現に、私が初めて総合病院の婦人科へ母親と共に受診しに行った時に、看護婦に「いい歳して、たかが、生理痛くらいで母親と来るなんて恥ずかしいと思わないのか」と言われたのをとてもよく覚えている。
その時は高校生で、毎月毎月寝込まないといけない程の生理痛でそれがだんだんと重くなってきていて、これは何かの病気なのではないかと家族も心配し、私も初めて婦人科を受診したときに言われた言葉なのです。
「たかが、生理痛」だとあのおばさん看護婦は言ったのだ。
その、「たかが、生理痛」が、日常生活にまで影響を及ぼしているから、わざわざこうして受診しに来ているのではないか。
あまりにも非情な言葉にあっけにとられてしまった私でした。
本当にその時の気持ち、その時のあの看護婦の態度は忘れたくても忘れられない程に私の中に焼き付いて残っているのです。
それが、また同性であるという事実も憤りを感じずにはいられないものでした。